企画・特集
鳩山総理とわたし
(2)元新党さきがけ北海道代表幹事 望月昭七さん(77)
(2009年 9/18)
昨年12月、忘年会を終えた市内のホテルでお互いにばったり |
わたしは、1993年から1年半、新党さきがけ北海道の代表幹事を務めました。振り返ると当時は彼(鳩山さん)にとって一番苦しい時期だったと思います。わたし自身も苫小牧市議6期目の締めくくりの時期。自民党を離党した彼をしっかりと支える者が北海道におらず、わたしが市議会では市民クラブという政党色を持たずに活動してきたことで、本人からも頼まれ、今思えば彼を支える順番として引き受けざるを得ない宿命だったと思っています。
政治家の裕福な家庭に育った彼が、最初は自民党の中に飛び込み、田中角栄氏の薫陶を受けて政治の社会を知り、脱官僚や国民目線の政治を-という主張を声高に訴えたのを見て、これは本物だと思いました。現在の民主党代表として本人が掲げているものは、新党さきがけ結成時とまったくぶれが無く今日まで生きている。しかし、総理大臣にまでなるとは思わなかった。今わたしは具体的な支援のポジションには無いが、一人の熱烈な支持者として見守るのみ。一言申し述べるとすれば、「初心忘れるな」です。
彼は、自民党時代に北海道の冬もずっと夏靴のままでコートも着たことが無かったことを誇らしげに話したことがあり、「それはやめてくれ」とわたしが怒ったこともありました。きちんとコートを着て、防寒長靴を履き、戸別訪問で相手の手を握って話す。自分の支援者に自分の姿勢を報告するのが選挙の原則。どぶ板に徹した選挙を何度か経験して、本当に政治家らしくなった。
事務所では、よく夜中まで語り合ったものです。互いに目線を合わせて話し合うことを大事にし、目線を合わせない者の話は聞かなくていいと。夜遅くなるまで話し込んだ時には、「これじゃ互いの顔が見えないね」と冗談にもなるほど。95年の道知事選に彼の心が動いた時は、「出るべきではない」と説得してよかった。1年半の濃厚な付き合いで何でも本音で話し合えましたよ。
彼の掲げる「友愛」は、軟弱な言葉と非難されるがそうでない。高齢者も子供も労働者も、元気に安心して生活でき、良かったと言えるぬくもりある生活社会をつくるのが政治の究極の目的。それを間違えなければ日本はまだまだ再生できる。





