企画・特集
鳩山総理とわたし
(6)道南レミック社長 広沢清隆さん(59)
(2009年 9/24)
初当選した翌年に東京・音羽御殿前で=1987年2月 |
鳩山さんは1984年に衆院選旧北海道4区での立候補を表明し、室蘭での地盤固めをされてから苫小牧入りをしました。わたしは、ポスター張りや戸別訪問など裏方として鳩山さんを支える「大地の会」の結成に携わり、初代会長を務めました。建設業、飲食店などさまざまな業種から、正式には約40人の若手メンバーが集まりました。
市内のホテルで少人数でお会いしたのが最初だったと思いますが、本当に実直な、われわれと何も変わらないような方という印象でしたね。
わたしは意地悪で言ったのではなかったのですが、鳩山さんに「苫小牧市内に国道は何本あるか分かりますか」と尋ねたことがあります。鳩山さんは「正直、分かりません」と答えました。しかし、1週間後だったでしょうか。再び会った時にはすべて詳しく把握され、わたしに説明をしてくれるまでになり、すごい勉強をしたんだなと思いましたよ。鳩山さんも一生懸命に地域になじもうとしていました。これまでの政治にはびこっていた縦ではなく横の同じ目線、同じ仲間としていち早く応援しようという気持ちがわたしにもわき起こりました。
コミュニケーションを図る親睦(しんぼく)会では、タッチフットボールなども一緒にやりましたよ。忘れられないのは野球とソフトボール。野球では、とあるチームで全道大会出場経験のある投手と当たり、3回ぐらいを過ぎたあたりで、「これじゃ面白くないからピッチャー交代」とわたしが言ったら、鳩山さんが「広沢さん、あの程度のピッチャーを打てないと駄目だよ」と楽しそうに言ってくれましたね。ソフトボールでは女性の参加者も多かったため、鳩山さんが「ハンディ付けよう。男の人は素手でやろう」と言いました。野球少年だったようで、器用なこの人にはかなわないと思いましたね。頭でっかちかなと思ってましたが運動神経もよく、柔軟性があり、この人なら友人代表で支えられると思いましたよ。
鳩山さんは落下傘と言われましたが、この地域だけを良くするのではなく、この国を空から見渡してきた。だから影響力のある、世界に通じる代議士さんになってほしいと願ってました。今の姿に感動してます。
人はつねられると痛いし、優しくされるとうれしい。だけど努力をした者が報われないのはおかしな話。頑張る者が報われる社会にぜひしてほしい。二大政党が必要と言った彼は礎になったと思う。鳩山さんとは総理を務め上げた後、いろいろゆっくり話したいです。



