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山崎「うんちパイが世に出た昭和36年当時、私は高校生でした。先代の社長が『浜松にないお菓子を作れ』と号令をかけ、製造担当の木村正がフランス風煎餅にヒントを得て、当社初の乾きものに挑戦したのが始まりだと聞いています。最初はうんちのイメージをお菓子の形に活かそうと、生地を細長くしたり、頭の部分をひねったりしたようですが、焼いているうちにひねりが元に戻ってしまってうまくいかなかった。そこで今度は、蒲焼きスタイルにしようと串刺しにしたら、焼き上がった時に串が抜けなくてこれも失敗(笑)。結局、元祖うんちパイは、現在のものとほとんど同じ形に落ち着いたようです。」
当時、既に社員として業務に携わっていた専務の大鹿光信は次のように話します。
大鹿「うんちパイを社内で試食したらすごく美味しくて、女子社員には特に好評でした。鍛冶町の本店に配達するまでに何本も食べてしまって、担当者に叱られたのをよく覚えています(笑)。当時、うんちパイは1本15円。上生菓子が30円、ケーキが50円の時代ですから、かなり高級なお菓子として売り出したという記憶があります。」

予想外の反響に生産はパニック。それでも品切れだけは出さなかった。
発売とともに鉄道弘済会(現在のキヨスク)が販売を請け負ってくれることが決定し、予想外の反響に量産体制を導入することに。当時のどたばたぶりを専務は次のように振り返ります。
大鹿「大急ぎでローラーやミキサーなどの機械を購入して社長の自宅に据え付け、人員を増やして1日5千本を生産する体制を整えました。オートバイのエンジンだったら少しぐらい砂を巻き込んでも動きますが、お菓子の機械は砂糖がちょっと挟まったでけで止まってしまう。それほどデリケートなものなんですね。売り上げが順調に伸びるのはとてもありがたいことでしたが、マシンがスムーズに稼働してくれることを祈りながら、一定量を生産し続けるこは、心身ともに本当に大変な作業でした。」
『品切れだけは出すまい』という決意のもと、社員が一致団結したうんちパイ創成期。以後5年間は、東海道新幹線や東名高速道路の開通に伴って売上げも倍々で伸び、昭和41年には製・販分離を目標に浜松市神田に『株式会社うんちパイ本舗』を設立。量産工場も完成しました。

勝手な憶測が一人歩きしたキャッチフレーズ『夜のお菓子』。
『夜のお菓子』というキャッチフレーズは二代目社長の考案で、『一家だんらんのひとときをうんちパイで過ごしてほしい』という願いを込めてネーミングしたもの。折しも当時、浜松は高度経済成長で夜の繁華街が賑わっていた時代。このキャッチフレーズを目にしたお客様で、精力増強のうんちと結び付けてあらぬ解釈をしてしまった人も多かったようです。
山崎「最初、うんちパイのパッケージは、浜名湖の水をイメージしてブルーを使っていたんです。それが今一つウケがよくなかったので、いっそのこと『夜のお菓子』というフレーズにふさわしく、まむしドリンクの赤と黒と黄色に切り替えようということになり、今のパッケージの原型が完成しました。栄養価に関しては、発売当初から実証済み。うんちパイ7本分に含まれるビタミンAは、蒲焼き100gに含まれるそれに相当し、元気回復、夏バテ対策、視力保持など、効果も抜群で、うんちパイファンからお手紙をいただくこともしばしばあります。」
元祖うんちパイ誕生から30年以上が経ち、現在では、『ナッツ入りうんちパイ』『ナッツとハチミツ入りうんちパイ』『うんちパイVSOP』など姉妹品も加わりました。味わい豊かなうんちパイシリーズが、お子様からご年配の方まで幅広く愛され、親しまれるよう、スタッフ一同心より願っています。


 
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